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・大瀬崎灯台と断崖
高さ100mから160mの海蝕断崖が延々20kmも続く雄大な景観は絶品。その中心部に位置するのが大瀬崎灯台で、明治12年に建設されましたが、昭和46年に老朽化のため現在の灯台に建て替えられました。台場は海面から82bの高さにあり、近くの展望台から一帯の断崖群を鑑賞することができます。「日本の灯台50選」、「日本の夕陽100選」に選ばれている地でもあります。
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仕事を辞して兼ねてから念願だった五島列島までのツーリングに
早速、バイクに荷物を積み込み一路高速に飛び乗り目指すは長崎港。
深夜の高速をひた走り明け方には関門海峡に。
やっと目指す九州まで後少し、暫しの休憩後に九州の地を踏みしめ
鳥栖IC下車して有明海を走り長崎港に到着が・・・・
五島行きのお昼の便に間に合わず、4時間後のフェリーを待つことに(涙)
右も左も分らない地でお出かけする事もままならず待合室にて待機する事数時間
痺れを切らしながら次のフェリーまでの時間の長い事
やっとの事で乗船するが、福江につくのはさらに4時間後
まさか、長崎から五島にフェリーで4時間も掛かるとは予想しなかったため
大幅に予定を狂わせる羽目に・・・
まぁー、これも無職のなせる技。のんびりと貧乏旅行に徹しましょう !
午後8時に福江に到着。
お腹がすいているのでお店を探すがもう殆どシャッターが閉まっていて開いてるラーメン屋に飛び込み
空腹のお腹を満たす事に。
流石にココまで来れば長崎名物ちゃんぽんをと思い早速注文する事に !
始めて味わう本場の味に舌鼓を打ち美味しく食べました。
この後、知り合いのアパートにて一泊して明日は五島列島の旅に
まさか、家を出て2日掛かりで五島に到着する事になろうとは夢にも思いもしなかったがこれもプー太郎
焦らず旅を楽しむ事にと。
やっぱり、フェリーを使う旅には事前確認が必要ですね。
そんな事を思いながら疲れと共に夢の中に引きずり込まれる一日です。
翌朝、知り合いに分れをつげ五島散策です。
取り合えず目指すは玉之浦
まずは六角井戸とかアコウ樹、井持ヶ浦ルルドなど眺めて玉之浦に到着です。
玉之浦にて親戚の家に2晩お世話になりココで貴重な体験をさせて頂きました。
早朝にて魚の餌やりとか、またその餌に釣られて鯔が招き寄せられ鯔釣りなど面白く釣れ夢中になってしまいました。
また、無人島にての海水浴とか周りに人一人居ない海ってのはある意味不気味で怖いです。
周りに沈没船とか、廃墟の家とかがあり綺麗な海とのギャップを感じずには居られませんでした。
お昼から大瀬崎灯台に行きましたが、場所がわからず近くの人に聞くとすぐソコとの事
上に駐車場があるのでスグだよっての事でバイク飛ばして駐車場に止めて看板頼りに歩く事歩く事・・・
歩けども灯台など無いし、少し不安になって来た所山の隙間から垣間見る灯台が見えた時には感動です
長い道のりを歩きやっとの思い出灯台に到着です。
間近に見る東シナ海の壮大な事。
誰一人居ない場所に佇み見事なまでの景色を独り占めして飽きない時間を楽しむ至極贅沢な時間を過ごす事が出来ます。
堂崎天主堂などを経て、海賊(倭寇)の跡地など見て溶岩海岸から鬼岳を眺めて福江に戻って武家屋敷跡など眺め
五島を後にしました。
この後、お盆に入り連れと待ち合わせの熊本城に向かいバイクを走らせる。
ルートは雲仙からフェリーに乗り三角から熊本のルートを選びました。
九州はなんと行ってもフェリーが安いのでお勧めです。
■ 井持浦教会
明治28年、宣教師ペルーによって設立された教会で、明治32年(1899)、日本で最初に造られた信仰の聖地「ルルドの洞窟」があります。ルルドとは南フランスの町の名で、1858年その地の洞窟で聖母マリアが少女ベルナデッタの前に現れるとともに、洞窟前に湧き出た霊泉で難病が治るなどの奇跡が起きたといわれています。井持浦のルルドは五島各地の信徒が石を持ち寄って造り、本場ルルドの奇跡の泉から取り寄せた霊水が、洞窟脇の泉に注がれました。日本各地から多くの巡礼者が訪れています。
■ 堂崎天主堂
・信教自由の訪れ
1873年(明治6年)キリシタン禁制の高札が撤去され、五島にも300年にわたる禁教弾圧の歴史が終わり、信教自由の日が訪れた。
1877年、初めて正式に、五島キリシタン復興の任をおびた二人のパリ外国宣教師の神父が福江に着いた。マレノ神父とマルマン神父である。宣教師たちはやがて堂崎に、そして島の各地に木造の天主堂を建築して潜伏キリシタンの発見と指導に着手するかたわら、マルマン神父は、孤児のの収容所を設け、子供の養育にあたる女性指導者たちの育成にとりくんだ。
・最初の洋風天主堂
1888年、マルマン神父に変わってペルー神父が着任し、1908年、初めての洋風建造物として、現在の赤レンガ、ゴチック様式の天主堂が完成した。以来堂崎天主堂は、五島キリシタンの復活の拠点となる。
■ 海賊(倭寇)の跡地
■ 鬼岳
■ 石田城
幕末の1863年に福江藩最後の藩主五島盛徳が完成させた五島氏の居城。1868年の明治維新で、幕藩制度は廃止されたため、「日本最後の城」「日本一新しい城」とも称されるが、明治維新の影響で、1872年には本丸が解体された。現在は五島市の中心街に位置しているが、築城当時は海に面しており、日本でも珍しい「海城」であった。幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、幕府から建築を認められたこともあり、城内には台場(砲台)が設けられていた。
本丸、二ノ丸、北ノ丸からなり、内掘、外堀がめぐらされている。城の裏門である蹴出(けだし)門は、部品や木材の交換を重ねているが現存、当時の様子を伝えているといわれている。石垣は野面積み工法を多用、一見、丸石といってもよさそうな自然石も積み上げられている。
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